Biomimicry(バイオミミクリー)
はたしてこれは自然だろうか? どこか不自然ではないだろうか? 目の前のできごとに、自分の言葉や態度に、引っかかるものを感じるとそう自問する。
違和感の正体にすぐ思い当たることもある。でもちょっと考えたくらいでは分からないことのほうが多い。そしてそのまま忘れてしまう。
落ち着かなさを無視した先には後悔がある。経験的にそうだ。面倒なことや取返しのつかない事態が、かならずその先に待ち構えている。
不自然な感覚はアラートだ。虫の知らせというやつだ。
山林に暮らす老詩人が街に出てきて、ホテルの窓から見える景色が直線ばかりだと嘆いていた。野山で目にするあれこれは、もっと自由で個性的な形をしているのだそうだ。プロメテウスの火と同様に、まっすぐな線もまた人類に恩恵をもたらした。扱いが容易で効率的で、物事の規格化と大量生産を可能にした。だけどいずれ扱いを誤ると大変なことになるよと、その人は予言めいたことを言った。
現生人類が現れたのが20万年前。それから気の遠くなるような長い時を経て、5000年前にいまの中東で文明が起きた。500年前に大航海時代や宗教改革がはじまり、250年ほど前に産業革命や政治革命が起きた。5000年前には1900万人しかいなかった人類は。2000年前には2.3億人に増え、1000年前に3億人に、500年前に5億人、200年前に10億人、100年前には15億人を超え、25年前に60憶人、そしていまでは80億人と指数関数的に増加している。
この地球上にはじめての生命が誕生したのが38億年前だそうだ。これまで現れた生物の種の99パーセント以上がすでに存在していない。つまり、絶滅もまた自然の摂理だ。人類も例外ではないだろう。
人類よりはるかに多く繁殖し、長く存在してきた生命はいくらでもいる。とくに菌類、植物、海洋生物、昆虫類などはエコシステム/生態系に寄与しながら、この惑星とともに生きてきた(人類はエコシステムに寄与しているといえるだろうか)。火も直線も用いないバイオメカニズムがそこにあり、いま改めて注目されているらしい。他の生命、あるいは他者との共存を疎かにしてきた人類にとって、学ぶべきことがあるからだ。
アートも人間にフォーカスを当てるばかりではないのではないかと、そんなことを思いながら有機的な形を(自分なりの不確かな解釈で)模倣している。とはいえこちらも人だから人間のことが気になる。人間社会のシステムや秩序が、火力や直線的な思考によって作られてきたのだとしたら、そのことでなにかが見落とされてきた可能性はないだろうか?
2025年5月
田内万里夫